日清戦争~日露戦争前(明治26~明治36/1893~1903)
作詞 不詳
作曲 不詳
澎湖島と呼びなすは
四十余里の大島ぞ
事を台湾全島に
上げんと思うその時は
まず手始めにこの島を
陥れるこそ有利ぞや
昔名高き鄭成功
始めて事を台湾に
挙げて三代島王と
その名世界に響きしも
その根據をば訊ぬれば
取りも直さずこの島ぞ
そかあらぬか白妙の
夏なお寒き遼東や
山東省の要害を
物の見事に打ち砕き
武名を世界各国に
轟かされし征清の
忠実武勇の我が軍は
ここに台湾全島を
征清せばやと逸早く
混成部隊を組織なし
比志島大佐を長として
名残の雪の消えやらぬ
末の三月月半ば
部下の勇士を引き連れて
数隻の艦に護られつ
宇品港を出発し
万里の波濤を蹴破りて
澎湖島へと差し掛かる
折から敵は我が軍に
押し寄せ来る有様を
探り知りしや騒然と
島の周囲の要塞に
野砲臼砲数多く
整列なして我が軍を
防がんものと健気にも
守備を固めて巌然と
我に抗いし敵原の
心根いとど笑止なれ
しかれど彼等は烏合の徒
固まり義務の守備なれば
いかにぞ我に敵すべき
勢い鋭き我が軍の
訓練熟する攻撃に
島中逸一の要地とぞ
人も知りたる馬公港
馬公港も何のその
瞬間時に我が兵の
忠魂込もる鋭鋒を
受けて跡無く散然と
降るもあれば逃ぐるもあり
聞くも愉快な大勝を
奏しつ領す澎湖島
南の空に日章の
逸早高く燦然と
光り輝く光景は
混成部隊のますらおが
立てし武勇の功績ぞ
立てし武勇の功績ぞ
作曲 不詳
澎湖島と呼びなすは
四十余里の大島ぞ
事を台湾全島に
上げんと思うその時は
まず手始めにこの島を
陥れるこそ有利ぞや
昔名高き鄭成功
始めて事を台湾に
挙げて三代島王と
その名世界に響きしも
その根據をば訊ぬれば
取りも直さずこの島ぞ
そかあらぬか白妙の
夏なお寒き遼東や
山東省の要害を
物の見事に打ち砕き
武名を世界各国に
轟かされし征清の
忠実武勇の我が軍は
ここに台湾全島を
征清せばやと逸早く
混成部隊を組織なし
比志島大佐を長として
名残の雪の消えやらぬ
末の三月月半ば
部下の勇士を引き連れて
数隻の艦に護られつ
宇品港を出発し
万里の波濤を蹴破りて
澎湖島へと差し掛かる
折から敵は我が軍に
押し寄せ来る有様を
探り知りしや騒然と
島の周囲の要塞に
野砲臼砲数多く
整列なして我が軍を
防がんものと健気にも
守備を固めて巌然と
我に抗いし敵原の
心根いとど笑止なれ
しかれど彼等は烏合の徒
固まり義務の守備なれば
いかにぞ我に敵すべき
勢い鋭き我が軍の
訓練熟する攻撃に
島中逸一の要地とぞ
人も知りたる馬公港
馬公港も何のその
瞬間時に我が兵の
忠魂込もる鋭鋒を
受けて跡無く散然と
降るもあれば逃ぐるもあり
聞くも愉快な大勝を
奏しつ領す澎湖島
南の空に日章の
逸早高く燦然と
光り輝く光景は
混成部隊のますらおが
立てし武勇の功績ぞ
立てし武勇の功績ぞ
PR