日清戦争~日露戦争前(明治26~明治36/1893~1903)
作詞 不詳
作曲 不詳
頃しも秋月初め
秋とは言えど南洋の
炎威酷暑は火のごとく
内地の夏にいや勝る
数十倍の猛熱に
肌や焼けて髪縮れ
加えて台湾の
未開極まる道路をば
草を分けつつ山を越え
渓を経りて糧食の
絶る切なる困難や
焼ける思いの炎熱も
君と国とのそが為に
無体極まる蕃賊を
戡定なして台湾を
治めんものと新竹を
占領されし我が軍は
ここに軍略整いて
近衛師団の全軍を
本隊右軍左軍とし
大甲渓の左岸より
牛馬頭へと進まれつ
群れ来る賊原を
迎え撃ちつつ逸早く
東大敦へ進入し
瞬時の間に台湾の
中央にその名匿なき
台湾府をば攻撃し
防ぎ護れる賊原を
四分五裂と追い払い
遂に難無く有名の
要害堅固な全府をば
占領されて大捷の
凱歌を高く上がらるる
凱歌を高く上がらるる
時しもあれや右翼なる
川村少将が部下の兵
これを先途と正面の
へい仔頭より彰化へと
降り来る弾丸払いつつ
勢い込みつ進まるる
この時又も左翼隊
敵が険阻と頼りける
八卦山をば見掛けつつ
一同どっと攻め入りて
迎えてここに逸早く
最も激しき戦いは
互いに発す大小の
砲煙哨雨と諸共に
見事彼奴等を撃退し
直に乗っ取る新竹城
かかる鋭き我が軍が
破竹の勢の南進に
流石愚昧の賊原等も
辟易なして我先を
銃器弾薬打ち捨てつ
山また山をよじ登り
渓また渓を打ち渡り
丸びつこけつ一応に
道なき道を走りつつ
彰化県へと逃げのびて
八卦山頂有名の
音に名高き険山に
備えありつる砲台を
また無き物と頼みつつ
最も兵備を巖にして
我が南進の軍隊を
防がんものと勤めける
修理に疎き賊原が
身の程知らぬ挙動は
笑止にも又愚かなり
作曲 不詳
頃しも秋月初め
秋とは言えど南洋の
炎威酷暑は火のごとく
内地の夏にいや勝る
数十倍の猛熱に
肌や焼けて髪縮れ
加えて台湾の
未開極まる道路をば
草を分けつつ山を越え
渓を経りて糧食の
絶る切なる困難や
焼ける思いの炎熱も
君と国とのそが為に
無体極まる蕃賊を
戡定なして台湾を
治めんものと新竹を
占領されし我が軍は
ここに軍略整いて
近衛師団の全軍を
本隊右軍左軍とし
大甲渓の左岸より
牛馬頭へと進まれつ
群れ来る賊原を
迎え撃ちつつ逸早く
東大敦へ進入し
瞬時の間に台湾の
中央にその名匿なき
台湾府をば攻撃し
防ぎ護れる賊原を
四分五裂と追い払い
遂に難無く有名の
要害堅固な全府をば
占領されて大捷の
凱歌を高く上がらるる
凱歌を高く上がらるる
時しもあれや右翼なる
川村少将が部下の兵
これを先途と正面の
へい仔頭より彰化へと
降り来る弾丸払いつつ
勢い込みつ進まるる
この時又も左翼隊
敵が険阻と頼りける
八卦山をば見掛けつつ
一同どっと攻め入りて
迎えてここに逸早く
最も激しき戦いは
互いに発す大小の
砲煙哨雨と諸共に
見事彼奴等を撃退し
直に乗っ取る新竹城
かかる鋭き我が軍が
破竹の勢の南進に
流石愚昧の賊原等も
辟易なして我先を
銃器弾薬打ち捨てつ
山また山をよじ登り
渓また渓を打ち渡り
丸びつこけつ一応に
道なき道を走りつつ
彰化県へと逃げのびて
八卦山頂有名の
音に名高き険山に
備えありつる砲台を
また無き物と頼みつつ
最も兵備を巖にして
我が南進の軍隊を
防がんものと勤めける
修理に疎き賊原が
身の程知らぬ挙動は
笑止にも又愚かなり
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