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日清戦争~日露戦争前(明治26~明治36/1893~1903)
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作詞 品川隠岐麿



我が皇の遠祖
筑紫の果ての高千穂の
宮居を出でて畏くも
東の国の荒えびす
長髄彦を討たんとて
尊き御身の雨露に
晒して軍し給える
その御功績いちじるく
浪速の浦の葦蘆も
知らぬ梟師の輩も
皆大君の旗下に
順を現す勝軍
君は御弓を杖つきて
暫時は小手を春日影
四方を眺めて在せしに
いずこよりか黄金なす
光と放つ鵄一羽
飛んで御弓に止まりしを
目出度祥瑞と天皇は
祝して笑ませ給いしが
終に御軍勝ち続き
八千代に堅き帝業を
定め給いし例あり
それは昔これは又
過ぎし菊月黄海に
清の軍艦打ち沈め
勇んで戻る高千穂の
艦の柱に止まりし
鳥は金鵄に護らざる
誉れは鷹の挙羽鳥
追えども去らぬ霊鳥の
様に人々いぶかしみ
捕えて君に奉れば
君は御感の深くして
遠祖の尊霊が
祥に変わらぬ吉瑞は
我が大勝の標しぞと
祝し給えば天が下
片もる月の賤がやに
糸取る卑の童子も
語り伝えて蒼鷹の
祥は天下の吉兆と
言ふかぬ者なかりけり
祝さぬ者こそなかりけり
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高嶺に積もる白雪の
白きは清き心なり
麓に匂う紅葉は
赤き心の標しなり
清く赤きは皇国の
ますら武夫の誠なり
春の弥生に吹き出づる
花は多けどちらちらと
朝日に匂う山桜
開くも散るも潔く
これぞ名に負う敷島の
大和武士の鑑ぞと
花は桜木人は武士
この諺に恥づるなよ
君に捧げし我が命
死すべき時に死なざれば
死するに勝る恥ありと
昔の人の教えばり
雲を起こせる筒先に
轟き渡る鳴る神か
鉛の雨の降りしきる
修羅の巷に出入りし
国に尽くさん赤心を
この時こそと顕わせよ
敵の陣地は堅くとも
敵の兵士は多くとも
大和武士の受け得たる
忠と勇とを楯にして
進まん道にいかでかは
刃向う敵の有るべきか
至る所の青山に
例え骨をば埋めるとも
千代に朽ちせん名を揚げて
永く子孫に伝うなり
屍を馬革に包むとも
ますら武士の誠なり
霹靂咄嗟の束の間も
ただ一筋に大和魂
誓って忘れる事なくば
祖々の霊も見そなまじ
敵も味方も喜びて
我等の武勇を迎えなん
振るい勉めよますらおよ
進むに猛き物部が
取り伝えたる梓弓
引きて弛まず進み行け
敵の旗色動くまで
仇の城壁陥つるまで
鉛の雨の末晴れて
筒の烟の消えて後
歌う凱歌の勇ましく
空の曇りも晴れ渡り
高く輝く日の御旗
共に輝く大和魂
我が日の本の御旗をば
外国人は如何に見る
清き白地の目覚しく
染め出したる日の丸は
皇御国の御為に
忠勇義烈のその民は
五千余万の魂を
大和心を一にして
寇なす敵に渡り合い
無道の刃を打ち折りて
一夫万夫に当りつつ
命を捨つる覚悟なり
この健気なる覚悟をば
哀れ世界に示さんと
御旗彩る紅は
我等の惜しまぬ血潮なり
皇御国のますらおが
君が為とて健気にも
故郷立ち出で都なる
四方に灼く金城に
いざ事らば兼て
捧げし命惜しまずに
尽くす心は有明の
つきに叢雲ありとても
赤き心は曇りなく
晴れて旭日の軍旗をば
隊五の中に押し立て
勇気の風に翻し
喇叭の音に歩調
揃いて進むぞ勇しき
支那も昔は聖賢の
教えなりつる国なれど
代を易え歳を経るままに
次第に開化の後退り
口には中華を誇れども
心の野蛮は反比例
その蒙昧を破らずば
我が東洋の夜は明けず
時こそ来たれいざ来たれ
豊栄昇る旭の旗を
北京の城に押し立てて
無明の闇を照らすべし
これぞ名に負う日の本の
皇御国の務めなる
皇御戦競いつつ
進めや進め北京まで

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