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日清戦争~日露戦争前(明治26~明治36/1893~1903)
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作詞 梅村痴耕
作曲 不詳

昔豊公朝鮮を
攻め給いたるその折に
明兵大挙二十万
我が兵僅か四五千騎
敵よ比べて九牛の
一毛だにも足らぬ兵
その小勢にて大軍を
殺し尽くせし戦にも
劣らぬ程の我が勝利
聞くもなかなか勇ましし
豊島沖の海戦に
凱歌奏せし間もあらず
我が陸兵のつわものに
牙山の敵を討たんとて
進みかかれば敵兵も
予ねて期したる事なるか
釣瓶放しの砲戦に
暫時に拒ぎ守りしが
遂に護りを失いて
皆散り散りとなりにける
この時我が軍勝ちに乗り
殺傷殆ど算も無く
武器さえ多く分捕りて
高く凱歌を奏しける
奮えや勇め
我が海陸の猛兵よ
この機に乗じたちまちに
北京城へ攻め入りて
城下の盟約促して
我が帝国の比び無き
武威と稜威を輝かせ
武威と稜威を輝かせ
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作詞 不詳
作曲 不詳

朝鮮古来我が国を
父とし母とし事得しに
かの閔族はなにゆえぞ
我を差し置き他に向かい
縁故の薄き清国に
援助を請うも不審しく

また清国は我が国と
結ぶ天津条約を
反故同様に軽んじて
ただ一言の通知だに
なさで濫に出兵を
なすも誠に不審しく

思うに清は機を投じ
勿論外に意思ありて
これを果たさん心底は
鏡にかえて見るごとし
時に日本も彼の国に
居留の民の保護として

海陸兵を若干名
直ちに派遣せらたり
これに続いて大鳥氏
全権公使の命を受け
韓と清との両国に
談判数日に及べども

兎に角事の捗らず
空しく時日を送るのみ
ここに公使は意を決し
朝鮮政府に迫りつつ
清兵撤去の巌談は
実に勇ましき事ぞかし
作詞 不詳
作曲 不詳

国に事変のありつるは
人に疫病のあるごとし
かの朝鮮の閔族は
秘かに清と意を通じ
清も好機と思いしに
日本はこれを看破なし
義心をもって責めしかば
国王殿下も御感あり
初めて暗夜に燈火を
得たる心地と宣いつ
善後の策と講ぜんと
大院君にまず使者を
馳せて迎うる事となり
大院君も旨を得て
直に登城なさんにも
要路に遮る者あるは
これ必定と予知すらく
日本公使を頼りつつ
護衛の依頼ありにしぞ
大鳥公使は快く
これを承諾擁護しつ
列を整え静々と
京城差して進み行く
思うに違わず韓兵は
予ねて用意やしたりけん
閔族共の指揮を受け
突然こちらに発砲す
これぞ明治の二十七
一月二十三日なり
作詞 不詳
作曲 不詳

それこの度の戦いは
ただ朝鮮の為ならず
東洋前途の安寧を
図らせ給う叡慮なり
叡慮の程を畏みて
この目的を遂ぐるまで
平和の敵を平らげよ
軍旗の下は皇の
玉座の前に等しきず
健気に働き叡感に
あたる事を心掛け

また上官の命令は
畏き勅語と服従し
水火の中も弾丸の
雨や霰も厭うなよ
この精神だに撓まずば
いかなる事か成らざらん
黄金の鵄も雲井より
赫々勲功を待つならん
平和の基礎を永遠に
建てて勲功を完くし
叡慮を安じ奉り
凱歌を挙げて旋るべし
作詞 不詳
作曲 不詳

遥か彼方の海の上に
輝く光の浮き沈み
夜目には定かに見えねども
これぞ連合艦隊の
大連湾を船出して
栄城湾に舵を取り
向かえるものと知られたり
二十余艘の運送船
佐久間中将その外の
兵士共を乗せて行く
隊列正しき有様は
実に壮なり勇ましし
湾内狭しと進み入る
第四遊撃隊よりは
陸戦隊を組織して
上陸せんと構えたり
この時敵は野戦砲
四門備えて防戦を
試みつれば我が兵は
艇砲たちまち応戦し
艦隊よりも砲撃を
試みつれば敵兵は
支え難しと思いけん
散りて影無しつわものの
陸戦隊は一兵も
傷付く事もあらずして
上陸するを得たりけり
敵は逸早逃れてか
栄城湾内只一の
敵頑とても響かざり
暫しの間敵情と
窺いたれど抵抗の
さまは見えあるあわれさよ
草木の音にも心置く
敵は逃れて跡もなし
栄城湾の大勝利
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