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日清戦争~日露戦争前(明治26~明治36/1893~1903)
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作詞 岡部道輔
作曲 不詳

海洋島の波高く
岩に砕くる白波は
実に白龍の翻る
様に似たりの苔の露

ただ一艘の軍船を
取り巻く敵の大艦は
艨艟雷艇二十艘
撃ち出す砲丸雨霰

突来る水雷凄まじく
死地に落ちたる艦命を
繋いでいかで日の本の
軍人と言わるべき

我事既に終わりたる
時は来にけりいざさらば
底の藻屑となるとても
いかでか敵に降るべき

死なば諸共敵艦と
沈みて国の誉れをば
龍の都の底までも
伝えて誉れ残すべし

今こそ我の死するべき
時は来にけり心して
砲弾限り腕限り
敵を苦しめしかる後

かかれや撃てや弾丸を
裂けよ潜れよ敵弾を
撃てや崩せや敵艦を
進めよ行けの号令は

奈落の底の末までも
響くばかりの勇ましさ
二十余艘のその中を
退きつ潜りつ奮戦し

受けたる弾は数知れず
敵を撃ちたるその数も
知れぬは波の引き潮に
跡を消さして恙無く
引き上げたるは見事なり
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作詞 不詳
作曲 不詳

大院君に銃先を
向けるは賊か逆臣か
主君に手向かう人非人
不倶戴天はこ奴なり
素より護衛の日本兵
何の猶予のあるべきぞ
蟷螂の斧小癪なり
目に物見せてくれんずと
打ち出す銃砲揮る刀
その働きの鋭さは
妖魔の業か神術か
実にぞ神国神の業
いかに無法の徒なりとて
いかに百万来ればとて
いかで敵する事やある
いかで勝つべき道理ある
生兵法の恥晒し
ただ一戦に敗北し
九死一生潰散す
その有様の哀れさよ
その時彼の傷殺は
殆ど山のごとくなり
作詞 不詳
作曲 不詳

見渡す海は緲々と
見渡す陸は茫々と
南洋得有の猛熱に
焼かれて炎威いと強き
中を苦とせず優々に
朝日に光る日の丸の
御旗を立てつ数十の
艦隊共に舳艫をば
並べて進む光景は
これぞこれこれ帝国の
新版図にぞ属したる
台湾島を治めんと
総督始め部下の士が
鷄龍港へ向かわると
最も勇まし進軍ぞ

愚蒙愚昧の蕃族等
劉永福を将となし
妄に干矛擁しつつ
我が皇軍の大恵を
無にせんものと無体にも
条理の迂き奴等は
劉永福の姦策に
心迷うて我先と
鷄龍港の砲台を
また無き者と頼みつつ
児戯に等しきもちなして
我が皇軍の上陸を
防がんものと逸早く
砲門開き不敬にも
我が軍目掛け発砲す

夏の虫にも劣りたる
蕃族共が砲撃を
見つつ笑いつ悠然と
応戦なしつ港内へ
躍り入りたる我が勇士
見る間に敵と皆殺す
苦なく砲台乗り取って
ここに全軍鷄龍へ
上陸なして逸早く
本拠をここに定められ
台湾首府と構えなそ
台北府へと進軍し
雲霞の如く集まれる
蕃族共を一撃の
下に倒して満金の
大捷奏し台北の
城壁高く悠然と
世界に光る日の丸の
御旗を立つ共々に
高く凱歌を唱えらる
作詞 野津道貫
作曲 不詳

皇御軍は去年の夏
安芸津島根を船出して
虎伏す高麗の荒野より
唐土指して攻め入りつ

越ゆれば易き
海山の千里の外の頑迷
支那の夷を打ち込め速く
上げつる勝鯨波の

今年の春は外国も
光を仰ぐ日の本の
境広めし浦安の
船路を帰り来て

境は都の大内山
千代万世と我が君の
御代の栄えを祝うなり
御代の栄えを祝うなり
作詞 不詳
作曲 不詳

九連鳳凰乗っ取りて
進む第一軍隊は
舳巌析木城を取り
なお敗兵を追撃し

進み進みて行く先は
敵の構えし海城よ
さして要害ならねども
窮鼠かえって猫を噛む

逃ぐるに道なく大砲を
蕎麦山に備えつつ
我を目掛けて砲撃す
山より見下ろす敵の兵

見上げて進む大和武士
指揮なす大鳥少将や
大迫少将諸共に
軍は励ます号令に

突貫進む勢いに
敵も支うる気力失せ
守りを捨てて逃げる
我が兵これを追い撃ちて
進んで乗っ取る紅瓦塞
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